木屋町通は、二条通から高瀬川沿いを
南に向かって続く通りです。
高瀬川は、その昔、大坂から伏見港を経て、
物資を運び込むために開削したもので、
森鴎外の名作『高瀬舟』にも登場します。
『高瀬舟』の舞台は、
島流しを命じられた罪人を大坂へ護送する舟の上。
ある日のこと、喜助という男が高瀬舟に連れられてきました。
だが、この男は、これから島流しにされるというのに、
なぜだか楽しそうなのです。
これを不審に思った護送役の羽田庄兵衛は、
彼に「なぜ?」と問いました。
すると、喜助は「私の半生はあまりに辛かったので、
島流しにされても大して変わるまいと思うからです」と語りました。
さらに聞くと、彼は弟殺しの罪で送られてきたのだとか。
「ふむ、なるほど」と思った庄兵衛。
しかし、この純粋そうな男が本当に弟を殺したのだろうか?
という疑問がわきました。
庄兵衛は、何故弟を殺したのか喜助に聞きました。
すると喜助の口から語られたのは、
自害し損ねた弟を楽にしてやっただけ、という真実でした。
喜助は子供の頃に両親を亡くし、
弟と2人で暮らしていたそうです。
しかし、弟が病気で働けなくなったので、
一生懸命に働きながら弟の面倒を見ていました。
ところが、ある日家に帰ると
弟がのどから血を流し、苦しんでいます。
聞けばこれ以上迷惑をかけたくないと思い、
剃刀で自殺を図ったようなのですが、
死にきれずに剃刀がのどに刺さったままになっていたのです。
弟は剃刀を抜いてくれと必死に頼みます。
しかし、剃刀を抜けば出血で命を落とすことは間違いありません。
喜助は悩んだ挙句、剃刀を抜きました。
弟は息絶えますが、
そこを近所の人に見つかり罪人になったといいます。
それなのに喜助は「島流しなど、
今までの苦労に比べたら苦でない」と笑います。
そして「お上に居場所を作ってもらい、
食べさせてもらえるのはありがたい」と答えるのです。
喜助の話が真実かどうかは判りませんが、
仮に真実だとしたら、果たして喜助は本当に罪人なのでしょうか。
庄兵衛は、喜助のしたことは人殺しと呼べるのか、
自問自答してしまいます。
けれどお上の決定をひっくり返すことは出来ない。
疑問に思いながらも、
庄兵衛はただ粛々と護送の役目を果たすこと以外は出来ませんでした。
この短編小説は2つのことを問いかけています。
1つが安楽死の問題。
もう1つは、足ることを知る生き方です。
喜助は、島流しをありがたいといいました。
生きていればそれで満足と思ったのでしょう。
人間は腹を満たせたら欲望を
どんどんエスカレートさせる生き物です。
鴎外は、人間の欲望の愚かさを
庄兵衛の驚きに重ねて示したかったのだと思います。
久郷直子